2018年01月13日

忘れられたしめ飾り

今日、会社の持ち船(2隻あり)に乗ると、運転席の前にしめ飾りが放置してあった。
この船は、お正月後に使ったのは8日。私はその日は休日。
なので、誰が外したのかを聞いた。「僕が外しました。」と若い子が言ったので、「これじゃただのゴミになっちゃうよ。」とだけ伝えた。返事はなかった。

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詳しく説明する気にはなれなかった。
仕事上、業務を伝える責任はあると思うが、こういったことを学んでないのは、仕事上の事ではなく、育ちの問題だと思うからだ。もちろん、それを伝えることもある。それは、自分の都合。伝えたい人と、そうじゃない人がいる。また、そういう場面とそうじゃない場面。なんでも教えてもらえるわけじゃない。だから、なんでも教えるわけでもない。先輩から伝えられることの多くは、意味ある事であり、次に繋がっていくものだ。それはそんなに価値のない、安易なものではないのです。

そんな彼の問題はさておき、なぜこうなるのかを考えた。

それは、彼はこれを“しめ飾り”だと思わず、“藁と草と昆布”だと思っているんだろう。
しめ飾りは、お正月の縁起物であり、船につけるという事は、今年一年の無事故を祈願するものだと思う。(それ以外もあり)そして、神様に留まっていただく“お社”のような願いを込めたものだ。

神事ごとが蔑ろになっている昨今では、こういったことを口うるさく伝えることも少ないだろうし、企業として行う事も少なくなっているように思う。でも、海運業ではまだまだしっかりとしている企業も多い。やはり、自然の力には勝てないことを知っているから。人間ではどうにもならないことは、神様に縋るしかないのだと。それが、潔く諦めることに繋がり、身の安全を守ることに繋がるのだから。

目の前の物質をどう意味づけるかは、その人が決定している。
だから、その人が私にどう思われるかという結果も、その人が決定している。
全ては自分の決断で、世の中は動いているという事だ。

今日は、少しの苛立ちと、大きな寂しさでブログを書きました。そして、未来への大きな不安が残りました。

大事なことが沢山失われていきます。私が歩けなくなるころには、どんな日本になっているのだろうか。
posted by D.Tanaka at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学
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