2017年11月23日

調子に乗って心理学(笑)

釣りネタが乏しいので、今日も心理学。

いや、これが心理学の分野なのかもわからない。いわゆる素人のつぶやきなので、○○心理学とか、○○派とかいうのもわかりません。ただ、自分の考えの軸は、前から書いているようにアドラー心理学であり、それを大介流に解釈(都合よく)しているものであり、本流から見れば、かなり逸れていると思われます。

と、言い訳したところで好き勝手書きます。

フロイトは、性衝動というものに着目し、いろんな理論を言っております。生物においての性衝動、いわゆる性欲は種の発展に直結するものだと思うので、それ根源とするのは自然なものかもしれません。それが生き物であるなら。

私は人間とその他の生物は分けて考えているので、人間の行動のベースが性衝動であるというのはいまいち理解しかねます。←もしかしたらフロイトが言いたいこととか違うかもしれません。

んで、最近私が考える欲求の根底は、「支配欲」ではないかと思うんです。

あらゆるものを支配したいという欲。

相手に、自分の思い通りになって欲しいと思う事。例えば、子供に幸せになって欲しいということ。これはわかります。だから、公務員になって欲しいとか、相手の収入はいくら以上だとか。。。ここまでくると、相手を支配していると言えると思います。

この支配欲はどこから生まれてくるのか?と考えた時に、もしかしたら赤ちゃんの時ではないかと。赤ちゃんが泣くことで、ほとんどの場合でその場を支配することが出来ます。それを繰り返していくうちに学んでいくのではないかと。泣くという行為は、ある時期から戦略的に使われるようになります。物を買って欲しい時か。それは親を支配しようとしているのではないかと。

言葉で伝えることで、相手を説得出来ればよいのですが、それが出来ないときは泣くという行為で勝負するのです。

大人になると、さすがに泣くという手段はなかなか使えないので、今度は怒るとかキレるとか、そういう感情を利用し始めます。その目的は、相手を支配すること。つまり、根底で泣くことと、怒ることは同じ幼稚性を持っていると思います。

あれ?動物は??という事になりますが、私が考える支配欲は人間特有のものではないかと思っています。それも、一般的な家庭での話。悲しくも世の中には、あまり親に世話してもらえなかった子や、愛されずに育ってしまった子供も居ると思います。そういう場合は、少し違った形になるのではないかと思います。しかし、この学習する欲、つまり、後天的な欲は見逃せないと思います。性欲のような先天的な欲とは、別種のものだと思います。もちろん、性欲も一線を越えていくと、自分を満足させるものとなり、それは支配欲を同時に満たすものになると思います。

日本人はコレクトするのが好きだという話もありますが、私の周りでもロッドを揃えたり、卓球グッズを統一メーカーで揃えたりする人が多いです。コレクションのコンプリートと同じように、ある種の支配欲が働いているのでは無いかと思いますが、どうでしょう?


この支配欲は、さまざまなところで問題を起こすことがあります。相手や場面を思い通りにしたいという気持ち。そして、それが満たされないことで生まれるフラストレーション。

「なんでわかってくれないかな。」とか「それは常識でしょ!」とか「空気読めよ。」など。

相手に勝手に期待して、不満を述べる。


と、ここまで好き勝手書いておきながら、オチがないんです(笑)この考えが全く纏まってないので。

なので、私も常に自分の支配欲に悩まされながら生きてます。ただ、そのたびに「自分勝手な支配欲で不満をもってないか?」と自分に問いかけています。良いか悪いかわかりませんが、泣いたり怒ったりすることはとても減りました。その分、淡々としているように思われます。でも、心の中では結構情熱的なんですよ(笑)

ということで、ちょっと尻切れトンボな話でした。

おしまい。
posted by D.Tanaka at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2017年11月21日

ストレスは蓄積しない

先日の忘年会で「最近、大介的心理学書いてませんね。好きなんですけど。」と言われました。
社交辞令かもと思いながらも、気分良くなったので、久しぶりに書きます(笑)

さて、「ストレスは蓄積しない」という話です。もちろん、自分の考え方であって、真実とかそんな話ではないです。

ストレスという言葉は、物理からきた言葉であり、金属疲労のような感じだと思います。なので、こういう使い方でいうなら蓄積します。私が言いたいのは、心のストレス。まあ、どちらかというとストレスというもの自体を否定しているのですが・・・いや、ストレスが溜まるということを否定しています。ストレスは溜めるものであって、溜まるものじゃないと。まあ、この話はまた次回にでも。。。

んで、何かを見たり、されたりで、ストレスを溜めていく。そして、それが積もりに積もって爆発すると。

例えば、犯罪とか、暴力とか。「ストレスが溜まって・・・」なんというのは良くある話。ニュースでも結構聞きますね。

私は、まずそんな言い訳は聞きたくないし、聞いたところで解決もしないから、そういった言葉は無視です。原因としてストレスがあり、その結果として犯罪があるという図式を否定します。
犯罪を犯したいという目的があり、その手段としてストレスを溜めていくという図式だと考えます。

本人にその自覚が無くても、そういうことです。

そして、ストレスを溜めていくと書いたけど、実際には溜まってなくて、その機会をうかがっているだけです。タイミングが良ければすぐにでも実行します。溜まったことにして。キレやすい人とかいうけど、勝手にキレているだけです。他の人が挨拶というコミニュケーションツールを使うかの如く、キレたり、暴れたりというコミニュケーションツールを使っているだけです。それはツールを知らないか、使い方を知らないだけ。

話はちょっとずれるけど、「ストレス解消方法」とかありますよね?あれも私は否定です。何かの問題があり、それをストレスと感じるなら、その問題を解決するしかないからです。いくら大声で歌っても、魚釣りに行っても、そのストレスの原因は解消されません。もうひとつは、その問題は解決しないのものと理解することです。簡単にいうと"諦める"とか“時間に任せる”とか。今時点での解決を放棄します。そのどちらかかな。まあ、好きな釣りとか卓球をしているうちに、いろいろと考えたり、悟ったりで、解決放棄に向かう事もあるので、一概に無駄とは思いませんが、直接的な解決にはならないと思っています。

まあまあ、話がまとまらなくなってきましたが、要はストレスなんていう偶像に支配された生き方はもういらないんじゃないの?ということ。こんな言葉遊びを言い訳にされても納得できるもんですか。だったら、自分も最初からストレスなんて言葉は必要ないです。形の無いものに、言葉を付けると、それで意味を持ち、形になってしまいます。もしかしたらどこかの原住民にはストレスというような言葉はないかもしれません。その世界にはストレスという概念がないのです。そういう世界があるとしたら・・・・。まあ、ストレスという言葉が生まれる前の世界や古い日本にはもちろんないわけで。

医者が「ああ、風邪ですね。」って言った時点で、やぶ医者決定みたいに、ストレスなんて便利な言葉(医者や問題を起こしたい人にとって)は、もう放棄して生きようと思っています。

でも、昔のブログとか見たらたぶん書いているでしょうね。私も(笑)

でも、過去は過去。これからはストレスフリーな生き方をしたいと思います。あ、ストレスフリーという言葉自体が、ストレスを認めているのか。。。言葉って難しいですね。

幸せに生きるために、つまらない概念は捨てていってもいいんじゃないですか?という話でした。
ちょっとわかりにくいですかね。久しぶりに書くのでまとまりませんでした。ごめんなさい。
posted by D.Tanaka at 23:19| Comment(2) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2017年08月22日

TVから

久しぶりにテレビからの言葉で痺れるものがあった。

「不幸せに生きる方法は簡単だけど、幸せに
生きるのは難しい。幸せは、いつも後で気付くものだから」

なんとなくこんな言葉。

今が幸せだと気付かない人は多いのかもしれない。

幸せの定義も人それぞれだからね。

だったら、今が幸せだと思い込んでみてもよいと思う。

そうすれば、過去は全て変わるから。

posted by D.Tanaka at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2017年08月10日

本気の言葉は人を勇気付ける

久々に心理学。

相手の事を思っても、思っていなくても、偽りの言葉は心に響かない。

一時は嬉しく思い、一時は安心したりする。

でも、それが自分が成長する切っ掛けにはならない。

たとえ、それが貶されるような言葉であっても。

目の前のすべての事は、自分が意味付けているのだから、その言葉や行動そのものには意味はない。

自分がどう感じるか。どう理解するか。

すべて空であると言うのはそういう事なのかも。

今の私があるのは、本気の言葉があったから。

本気の言葉を掛けてくれたすべての人に感謝です。
posted by D.Tanaka at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2016年08月24日

自分の価値には気づきにくい

本当はPBT第四戦の話を書きたいんですが、じっくり時間が取れないので、昨日の出来事を。

昨日は、近所の熱帯魚店のお兄さんと川へ行ってきました。

このお店は、うちのウナギの餌をちょくちょく買いに行くのですが、そこで淡水魚トークに華が咲き、小一時間くらい話すこともざら(笑)自分もこういった話をできる人がいなくて楽しい時間を過ごさせてもらっています。

私はただの魚好きですが、相手は本職だし、なによりその友人関係はプロといっていいほどの人達。どこにあれがいるとか、ここにこれがいるとか。。。まあ、具体的な場所は、本当にシークレットらしく、なにやら変な雰囲気の話ばかり。

そして、当然のように「最近固有種が減ったのは、バスのせいで。。。」となります。さすがに私も「それはないですよ。バスと魚は混泳している姿たくさん見ますから。もちろん食べますけど。」と当たり前といえる話。向こうも納得してくれ、また話が長くなるという感じです。

そんななかカワアナゴの話になり・・・・なかなか見つからないと。「え?普通にいますよ。」と私。それから、イシドジョウやアカザなど。。。そんな感じで「今度行きましょう!」ということになった。

このお兄さん、まあまあキャラが濃い(笑)そして、好きなことに一直線!行くと決まったらプッシュが凄い(笑)先日のPBTの大会中も電話かかって来ましたから!ということで、昨日言ってきたわけです。

30分ほどしか時間がなかったのですが、アユ、フナ、チチブ、オイカワ、テナガエビ、ウナギ、バス、ボラ、キビレ、スジエビ、コイ、など数十種類を確認。もちろん、岩陰からこっそり顔を出すカワアナゴも。これには二人とも感動!!!いや〜楽しい時間でした。

私はただの魚好き。だから、魚を探すことに努力もしてなければ、頑張りもない。好きだからしていること。しかし、相手は捕獲して売るわけではないけど、その道のプロ。

「これは凄いです!!!!本当に素晴らしい!!!!いや〜感動です!!!!」と、家に帰っても感謝のメール。

自分の何気ないと思っていた知識や行動が、こんなにも他人を喜ばせることができるとは思っていませんでした。その価値には自分では気づくことができなかったわけです。人と出会うことで気づかせてくれること。本当に大事なことですね。

バスへの誤解も解け、今度も行きましょうと挨拶をしました。

身近な川の素晴らしさを改めて感じた一日でした。
posted by D.Tanaka at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2015年11月27日

病院巡り

思うところあって、2,3と病院を回って気になるところを見てもらった。

幸い脳の方は問題ない。最近はMRIもすぐに取ってくれるし、料金も1万円でおつりがくる。

溶連菌の検査も、問題なく残っては無いということだ。薬が効いて良かった。

ただ、指に出来た疣は、液体窒素で凍傷のようになって経過待ちだし、足のガングリオンらしきものも急は要しないということだが、後日見てもらうことになった。

この歳になると、いろんなところにガタが来る。けれど、交換は出来ないので上手く付き合っていくしかない。アトピー性皮膚炎も酷くはないものの、ずっと付き合っている。季節の変わり目には、大体悪さをしてくれる。

まだまだ、くたばるわけにはいかないので、いろいろと足掻いて行こうと思っている。運命というのは変えられないかもしれないが、それでも最後まで抵抗して足掻くのが人間らしいのではないかと思う。いや、自分らしいのではないのだろうか。

体の事だけではなく、釣りも、卓球も、仕事も、何もかも。

"仕方ない"なんて思わないで、自分に出来ることをやり続けていきたい。

もう11月も終わろうとしている。めっきり寒くなったが、私はこの季節が何よりも大好きだ。

刹那的な季節が好きなのである。だからこそ春の訪れが恋しいと思えるのだから。

posted by D.Tanaka at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2015年10月28日

事実を受け入れるのは辛いのか

今日も息子と卓球をしてきた。もちろん、コテンパンにやられる。勝負で負けるのは良いとしても。彼の練習にもならないのは、とても申し訳ないと思う。親として十分な練習環境を作ってあげられないことを悔しくも思う。

でも、今自分に出来ることは、自分がスキルアップして、彼の練習に付き合えるような質の高いプレイヤーになることだ。その為にすることは、すべて自分の事である。

練習の帰りに「ラバーが合わないのかな?」と問うてみた。すると「どのラバーでも一緒。入るような打ち方になってないから。」と言われた。真実の言葉である(笑)これは自覚はあるのだが、そうは認めたくない部分なのだ。

でも、考え方を変えれば、打ち方を変えるだけでスキルアップ出来るのである。これほどシンプルなことはない。駄目な原因が明確になれば、悩む必要はなく、その練習をすればよいのだから。

勉強が出来ないという子供がいる。「足し算が出来ない。」という子と「算数が嫌い。」という子は全く違う話だと思う。まして「何を勉強したらよいのか分からない。」という"何が分からないのかが、分からない"というところまで行ってしまうとかなり大変なことになる。

まず"わかる"という部分、"出来る"という部分を自覚しなければいけない。その上で、次の作業への繋がりを上手くして、次の作業を"出来る"という風にしていく。

卓球って、サーブだけスペシャルでも勝てないし、レシーブだけスペシャルでも勝てない。そして、どれか一つだけスペシャルになってから、次に進むようなやり方では駄目だと思う。これは釣りも一緒で、キャストはスペシャルだけど、フッキングがダメとかじゃあ話にならない。ただ、順序はある。釣りはキャストから始まるし、卓球はサーブから始まる。これは事実だし、キャストは魚が居なくても練習出来るし、サーブは相手が居なくても出来る練習だ。

話を戻して、自分のダメな部分を指摘されると、とても辛い・・・と一瞬思ってしまう。でも、それはステップアップのヒントを貰えたという事。相手が子供であっても感謝しなければいけないことなのだ。それに、親のダメなところを的確に指摘できるなんて、まあ素晴らしい能力だなと。自分は出来なかったように思うから。

何を書いているのか分からなくなってきたが、要は「道具に逃げないで、ちゃんと努力しなさいな。」と自分に言い聞かせる為に書いている(笑)
頭の中でモヤモヤっと考えていては、結局何も生まないし、何も考えてないに等しい。頭の中のモノは、外に出してこそ整理される。アウトプットすることがとても大事。情報社会だからこそ、インプットはとても簡単に出来る。でも、それをアウトプットする=表現することが、とても大事なことだと思う。

さあ、明日はゆったりと釣りを楽しんで来ようと思う。気になることをすべてやろう。欲張って生きていこう!

posted by D.Tanaka at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2015年10月10日

相変わらず忙しくさせて頂いています。

タイトルの言葉は、「忙しくてやってられない。」ではなく、「おかげさまで忙しく(仕事を)させて頂いています。」という感謝の言葉を含んでいると思う。

父の葬儀から、何かとバタバタしており、今日も鳥取に日帰りです。本当は病院や役所など、いろいろ回らないといけないのですが、これは逆に平日でないとダメなので困ったものです。

少し話は変わって、昨日は息子の新人戦でした。おかげさまで団体は目標だった優勝をすることが出来ました。三年生が居なくなって戦力はダウンした中での優勝は、子供たちの自信になったと思います。私もたくさんの勇気をもらいました。

しかし、個人戦では決勝まで行けましたが惨敗。市レベルの大会で強い子がいるというのはとても感謝しなければいけない事です。ところが、その決勝では自分の思い通りに行かないからか、久しぶりの"はぶて"(ふてくされ)モード。相手を愚弄するような行為は無かったですが、明らかにゲームを捨てていたというプレーが見えました。当然、帰ってから説教でしたけど。

結局のところ、何がダメだったのか?というと、相手があっての競技なのだから、まずそのことに感謝しなければいけない。そして、その場を楽しまなければ。全力で戦っていれば、敗戦でも清々しく思えるものです。そして、そうでなければ次の反省点も見つかりません。次に繋がらないことが一番の問題なのです。失敗は成功の基と同じように、敗戦は勝利への基にならなければいけないのです。また、戦ってくれた相手に対しても全力であるべきです。自分が手抜きしてもらって嬉しいのかということ。もし、そうであるならとても幼いと言わざるを得ません。



仕事に追われる(と思っている)人は、ほとんどがその仕事を楽しんでないと思う。趣味or仕事という切り替えも大事ではあるけど、どちらも自分の人生の一部。自分の人生の中で、楽しめてない時間があるなんて勿体ないと思いませんか?仕事を楽しみ、趣味を楽しみ、育児を楽しむ。同じことをしていても、それがストレスになる人と、そうでない人の差。仕事で過労ってありますが、釣りで過労って聞いたことないです(笑)疲れるのは確かなんですが、それは肉体的なもので、心は満たされているからすぐに回復するんですよね。

釣りのプロと言われる人は、ほとんどがものすごく忙しくタイトなスケジュールです。しかし、疲れたなんて顔はしてないし、何よりもオフになると釣りに行きます(笑)

とても大事なことです。楽しい卓球のはずが、大一番の決勝で楽しめないなんて勿体なすぎる。バストーナメントでいうクラシックまで駒を進めて、ふてくされているようなものです。

とても変な言い方ですが、私は父の葬儀から、初めての経験ばかりでとても楽しんでいます。喪主という大役も任せてもらえました。そして、まだまだいろんなことをさせてもらえます。

ということで、今から準備して出発します。もちろん、鳥取に行くのですから"ついで"というのもたくさん楽しんできます。

では!良い日を。
posted by D.Tanaka at 04:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2015年09月18日

病気療養中。。。

GFFOの盛り上がりも冷めやらぬ日々を過ごしています。時間が経てば経つほど、大きなイベントをやったんだなと思う次第です。一方で、反省点も多々出てきております。そして、来年のプランも。

まだまだ、報告書など作らなければいけないのですが、昨日からどうも体調がおかしい。。。
今日、病院に行くと「溶連菌ですね。」と言われました。飛沫感染が主だという事ですが、どこでもらったんでしょうか。とにかく家族にうつさない様にしなければと思います。

さて、ネタもないので先ほど感じたことを綴ります。


朝から体が痛く、動きたくない気分でしたが、病気が悪化するといろんなところに迷惑も掛かるので病院に行くことにした。
病院はそんなに遠くないので、徒歩で行くことにした。微熱(37.3℃)があるのもあったが、なにより目の焦点が合いにくいように感じたからだ。車は便利な乗り物ではあるが、使い方を誤ると凶器になるのだから。少しだけ無理をすることで、加害者にならずにすむのであればと、迷わずにこちらを選択した。

しかし、歩いてみると今の体には結構しんどい。距離で500mほどだと思うのだがとても遠く感じる。そして、歩道の凹凸や、段差が気になる。きついと感じるほどではないが、自分よりもつらい立場の人には尚感じることだろうと思った。こういった体になってみないと気付かないことは多くある。せっかくこんな立場になれたのだから、治るまでの間はそういった目線で物事を見てみたいと思った。


帰り道、交差点で目の前の車がクラクションを鳴らした。一台前のバイクが止まったからだ。一時停止の場所なのかわからなかったが、車はクラクションを鳴らして過ぎ去っていった。バイクのおじさんはきょとんとした顔をしていたが、しばらくして「バカ!!!」と叫んだ。その子供のような振る舞いに少し笑いそうになったが、なんとも言われない気持ちになった。

どちらが悪いとかではなく、お互いに自分の感情だけをぶつけている。過ぎ去ってしまっては、クラクションの真意もわからない。それに「バカ!!!」では、車にも伝わらない。その場に車は居なかったわけだし。そうなると、この当事者の二人だけで済むような問題であるはずが、通りかかった私まで不愉快に感じることになっている。これはどうしたものかと。。。

自分の振る舞いをもう一度考えてみようと感じる出来事だった。何気ない一言や行動で、周りを不機嫌にはさせてないかと。そして、喜ばれるようなことをしているかと。仕事も子育ても、釣りも卓球も、自分一人で出来ることではない。だからこそ、自分の行動の目的を見誤らないようにしたいと思う。

病気で気持ちが弱ると、こういったことも気付くんだと、改めて感謝。たまにならば病気もしてみるものだと思いました。でも、やることは山ほどあるので早く治します!

では。
posted by D.Tanaka at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2015年07月17日

悩むはアピール

先日、会社の後輩との会話。

私「どうした?元気がないが。」
後輩「悩みがあるんです。」
私「ふ〜ん・・・余裕あるね。」
後輩「え???」

悩みって、行動を伴わないので、悩んでいる状態だと状況は何も変わらないんです。考えているというのとは、まったく違う状態だと私は思っています。例えば、テストで難しい問題を解くとき。方法が分かっている人は、どのやり方で解くか?と考えます。それは、とてもワクワクする瞬間です。釣りにおいても、次にどこが釣れるか?何が良いのかを考えて、移動する時はワクワクするものです。けれど、悩むとなると・・・。まず、問題は解けそうな感じはしませんし、魚も釣れそうな感じはありませんね(笑)

でも、悩んでいるというのは、あんまりポジティブなイメージがないんです。マイナスのベクトルを持った言葉は、あまり自分に当てはめて使わない方がよいです。

私が思うに、悩んでいるというのは、周りに対するアピールを多く含んでいて、「私がこんなに悩んでいるから優しくして」とか「こんなに悩んでいるのに、あなたは平気なの?」といった、対人に向けられたものが多いように感じます。

もし、ジャングルで生きるか、死ぬかという状態であるなら、悩むという事をするか?ということです。考え、行動です。そんな余裕はありません。
落水して溺れる!!って状態で、悩みますか?そんなことをしていては死んでしまいます。

言葉のセレクトの問題はありますが、私は悩むという言葉を、こう意味づけしています。なので、自分が悩むようなことになったら「ああ、まだまだ甘えているな。もっと考えて、行動!」と戒めています。ということで、私にはたくさんの課題、問題はありますが、悩みはありません。もし、悩んでいるとしたら、それは「悩んでいる私もカッコいいなぁ。。」とナルシストになっている時です。自己陶酔な状態なんで、ほっておいてください(笑)まったく生産性の無い状態です。

もっとも、考える前に行動をしたほうが良かったケースが多いのですが、なんといっても臆病者なので時間がかかります。それを埋めてくれるのは友であり、仲間であり、人間関係。やっぱり人は一人では生きていけません。

「すべての問題は、対人関係である。」素晴らしい言葉だと思います。

さあ、台風一過ですが、今日も一日ゆるりと頑張りましょう。
posted by D.Tanaka at 07:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2015年05月08日

休息日

体が悲鳴をあげているのだろうか。
夜勤明けに、4時間ほど時間が取れそうだったので、ボートを引っ張っていこうと準備していたら、やたらとボートが温かい。いや、熱い。太陽熱か?と思ったが、どうやら自分の体温が低いようです。道理で朝から会社の人に「そんなに着て暑くない?」って聞かれたわけだ。今日は温かいんですね。

体温調節が上手くいかなくなってきているのだろうか。

ということで、今日は休息日にします。といっても、夕方は仕事だし、夜は卓球なんですけど。。。

今回のGWは帰省していろいろな話や経験をしてきた。親族の事なので、詳しく書くことでもないと思うのですが、人の一生って儚いものだと感じました。そして、自分がしっかりと自分の人生は歩いて行かなければいけないということも。例えそれが、客観的に見て悪い結果だとしても、自分が選んだものであれば納得も行くだろうし、自分なりに意味づけが出来るのだから。

疲れていると、昔の事を思い出すことが多い。

今日は"車掌の本分"という物語を思い出した。先ほど調べて分かったんだが、自分は"おさるの車掌さん"という題名だと間違って覚えていた。人の記憶なんて宛にならないものだ。

この かんべむさし著の"車掌の本分"は、遊園地にある子供用の列車のさるの車掌と運転手が主人公のお話。

遊園地にさるの運転手と車掌が乗っている列車がありました。
列車が人気になり、列車を増設していきます。
円形の線路では、最後尾の車両のすぐ後ろに、先頭車両がくるという異様な形に。
すると、車掌がノイローゼになってしまいます。
「過労か?」と飼育員は話しますが、さるにとってはそれは大した問題ではありません。
さるにとっての問題は、運転手が前を行き、車掌が列車の安全を後ろから見守るという本分を尽くせなかったことだったんです。

ざっくり言えばこんな話である。

人が生きるということは、本分を尽くすという事と同義なのかもしれない。
もし、自分の余命が宣告されたら、僅かな延命を願うのか、尽くし切れていない本分を全うさせるのか。




答えはその時にならないと、見つからないんだろうな。
まだまだ、青いです。

posted by D.Tanaka at 10:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2014年11月17日

すべては意味づけで決まる。

このタイトルは以前にも書いた気がするけど、年々それを実感するので改めて書いています。

目の前の出来事は、実際には何の意味もなく、淡々と流れている事実。けれど、それを見る側が、そのことに意味付けをし、その事実を評価するということ。

例えば、とある先生が居る。数年後の同窓会で「あの先生陰険だったよね?」という生徒と「その先生は爽やかだったよね?」という真逆の評価が出てくるというのはよくある話。

もっとわかりやすく言うなら、TVに出てくる芸能人。「あの人感じ悪いよね?」と「結構好きな感じだな。」という評価。これは見ている側が勝手に意味付けていることだ。つまり、その人(この場合は芸能人)の人格や性格、容姿などは、本当は何の意味も持たないものである。

自分という世界で生きている以上、その世界観は自分が作っているということです。ほかの人に影響を受けることがあったとしても、それを選択して生きているわけですから、すべての責任は自分が背負わなければいけないということです。責任というと重苦しいもののように感じられるかもしれないけど、実は責任のないところには、なんの喜びもなかったりします。なので、喜びのためのスパイスくらいに感じておいたほうがよいでしょう。

さて、ここは釣りブログなので、これを釣りで考えてみる。

先日のアメドリでの話だ。優勝は3600g/3匹で、5位が3000g/3匹くらいだったと思う。そこで私は「5位で3000って釣れてないなぁ・・・。」と思った。しかし、地元の人は「今回はけっこう釣れていたね!」と言っていた。つまり、私は釣れない状況だと思い、ほかの人は釣れている状況だと考えていたわけだ。もちろん、その“釣れている”というもの自体が大きな差があると思うけれど、釣りをする上でこの状況を見誤るというのは、すべてにおいて影響する。

今までなら、これは自分の経験の無さや実力の無さがそう感じていると思っていた。だから、スキルを上げたり、経験を積むことで、そういった感覚になれると思っていた。しかし、今は一緒になる必要はないと思っている。100人中99人が難しいと思っていても、釣ってくるたった一人は「イージーですよ!」なんてこともある。それに何の問題があるというのだろうか。例え本番で釣ってこられなくても、プラでイージーだったのであればそれで良いのではないかと。もちろん、本番への変化に対応できなかったということで言えば、決して釣りが上手いということにはならないと思う。しかし、嘘をついているわけではない。事実そうであったのならば。

他人の評価を元に生きるというのは、その評価を下す人の人生を生きるということらしい。つまり、他人の人生を生きているのです。それって無駄なことだと思いません?

「その人が居なかったら別の選択をする」とか。世の中にはその人と自分しかいないわけではないのですからね。それよりももっと大きなものに頼った判断をしたほうが良いと思うのです。

と、まあ、誰に向けて書いているわけではないのですが。

しいて言えば、自分に対してですかね。忘れないために記しておかなければ、すぐに忘れてしまう。

鳥頭だから。

posted by D.Tanaka at 19:20| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2013年08月04日

センスは磨けるのか?

今日はPBT第三戦でした。結果は5位ということで、良くもなく、悪くもない。14組の中なので、悲観するほどでもないのですが、ウエイトが稼げる小野湖で、この結果は少々厳しいかもしれません。

今回の大会の優勝者はGUTS/佐々木ペアでした。詳しくは大会のレポートが出来てくると思いますが、今回の優勝ペアの戦略には脱帽でした。9時頃までは、船を並べて「釣れんね〜。」とかだべっていたのですから。

そこから、勝ちに行ける行動こそが、勝者と敗者の差だと思います。そして、これこそがセンスというものでしょう。悔しいけど、認めざるを得ません。あまり待ち上げると調子に乗るのでこれくらいにしておきます(笑)


今期の私は、見ての通りあまりパッとしません。クラシックでデコって、第一戦もデコ・・・。第二戦は5位、そして、今回も5位。

すべての大会で共通する敗因が行動力の無さでした。そして、判断力の悪さ。

物事が上手く運ぶ時は、何も考えなくても思い通りに進むように感じます。けれど、すべて自分が周りに作用しているのは間違いないので、すべてが他力本願ではいけません。PBTのペア戦のように、自分が釣らなくても、パートナーが釣ることで優勝することはあります。けれど、自分がそこに居なければ、そのパートナーは釣っていたかと言われれば、それはわかりません。すべての言動に起因したものがそこにはあるからです。

私は、それらを感じとる力がセンスというものではないかと思うようになって来ました。

ちょうど、先日ウナギを釣りに行った時も同じような事を感じました。

ウナギのエサに銀白というものがあって、これはウグイの子供です。これは釣具屋さんに売っています。私は「ウグイで良いのなら、カワムツでの良いでしょ。カワムツならすぐに釣れるし。」と言いました。そして、いざ釣り場について、ミミズで釣りを始めるとギギが釣れました。そして、カワムツも。すると、嫁が「カワムツ捌いて。」と言います。

私は、自分でそういったものの、生きているカワムツを裁くのは躊躇してしまいました。すると「何言ってんの?釣りに来て。ささっとする!!」そう急かされて、しぶしぶ捌きました。そして、その第一投目。投げ込んで数分で、ウナギが釣れたのです。

もし、私がもう少し躊躇していたら、結果は違ったのかもしれません。時合を逃していたかもしれません。

今回の大会でもパートナーの須藤君と「川が釣れているかもしれないね?」と、何度も会話していました。ならば、行けばよいのです。けれど、それはなかなか出来るものではないのです。

つまり、「出来る」と「する」は違うのです。そこに大きな隔たりがあるということです。

周りには成功のためのいろんなヒントが溢れています。それを読み取り、行動するのは自分です。最近の不本意な結果は、ここが欠如しているのだと、自己分析しています。けれど、どうやったら解決できるのでしょうか?

久しぶりに、落ち込み悩んでいます。でも、偶にはそんな時があっても良いですよね。悩める人生も嫌いではありませんから。
posted by D.Tanaka at 20:07| Comment(2) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2013年01月30日

たまにはシリアスに。「枯葉」

数日前の会社からの帰り道でのこと。

いつものように地下道を歩いていた。21時にもなると、あたりの人通りは少なく、少し寂し気であり、静寂もある。

この日は南風がやや強く、私の背中を押してくれる風が吹いていた。

すると、遠くから「カサカサ・・・」と音がする。ポプラか、なにかの枯葉が風に吹かれて転がっているようだ。

ビュウと強い風が吹いたかと思ったら、枯葉は一瞬で私を追い越していった。

そして、舞うように軽快に転がっていく。その身軽さに少し嫉妬した。少し足を痛めていた私は、自分の歩みの遅さにいらつきもした。

しかし、トンネルの途中で、その枯葉は止まってしまった。風が届かなくなったのだろう。さっきまでカラカラと音を立てて、生きているかのように走り回った枯葉は、現実を思い知らされたかのように、元の枯葉になっていた。

少しづつでも、歩みのある私は、とうとう枯葉に追いついた。そして、そのまま追い越して行った。



私が人生で競っている相手は枯葉なのかもしれない。

自力で歩むこともできない枯葉なのかもしれない。

いや、枯葉は私のことなど、気に留めてもいないのかもしれない。

足を痛めていたなんで、どうでもいいことなのかもしれない。


本当に私は自分の意思をもって前に歩み続けているのだろうか。

枯葉のように、背中を押してくれる人を待っていないだろうか。




少しづつでも、前に進みたい。枯葉を羨むこともなく。



posted by D.Tanaka at 05:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2012年04月20日

お節介は止める

デザイン変更記念の久々の大介的心理学ですw

今年の自分のテーマなんですが、「お節介は言わない」です。これは釣りはもちろん、私生活でも。当然仕事でも。

「お節介」というと、余計な世話を焼くということですが、私はあまり世話を焼くことはありません。前から言っているように、口は出すけど、手は出さない主義なのでw ちなみにお金を出すのも好きではない。

相手がするべき課題を、代わりにするというのは、自分の自己満足であって、その人にとってはマイナスでしかない。たとえ、相手が替わって欲しいと言ってもだ。その人の課題というのは、その人しか出来ない。例えば、子供の宿題。大人がすれば、それはあっという間に終わる。ミスも少ないだろうから、学校では褒められるかもしれない。しかし、これは子供のためにはならない。説明も要らないことだろうけれど。

子供の宿題と同じように、大人にも(当然子供にも)自分がするべき課題というものがある。それを周りに望んでも、結局は自分がしなければいけなくなって、逃げていた結果、窮地に追い込まれる。誤魔化して逃げていて、最終的によい結果になったという話を私は知らない。

ここからがテーマ。今までの話は相手が替わって欲しいと望む場合。もし、相手が替わって欲しいと望まないケースならばどうか。「相手が望む」場合、両者に同意があるので、両者の間では一時的に良い関係が生まれる。しかし、時間が経つと、結局課題は解消されてないのだから、大抵ギクシャクした関係になる。

一方、「相手が望まない」場合は、大抵面倒臭がられる。自分で出来ると思っているのに、勝手に手を出してくるからだ。これは、誰でも経験あると思う。思春期あたりで、「オレは何でも出来る!」と思っているのに、親があれやこれやと手を出してくるようなものだ。私は、放任だったのであまり経験ないんですがね。

これらは行動の話だが、これが知識の話ならどうだろう。

私は教え好きの説明好きだ。だから、こんな文章を書いているw。ブログの場合は相手が分かろうが、分かるまいが関係ない。興味の無い人は読まないし、少し読んで分からなかったら、辞書を持ち出して解読するような人は居ない。けれど、実社会で、後輩や子供たちなど、社会的な立場の下(人間的ではない。間違えないように)にある、人に面と向かって、能書きを垂れて、説明を始めると、彼らは逃げることは出来ない。例えば、PBTのボートの中とかも(爆)

言葉のお節介とは、相手が望んでない情報や知恵を一方的に押し付けること。これを止めようと思っている。これは、自分の好きなことなので、我慢は結構辛いものですよ。というか、癖のようになっているで、意識して話さないといけない。無意識だといつの間にか押し付けてしまう。だから、話すことに疲れてしまう。結果、聞く時間が増える・・・と、思う。いつも、「とにかく聞いて!」と言われる人なので、これは良い方向なのではないかと思う。たぶん。


ここからが核心。釣りにおいては、自分はそれなりに経験があると思っている。だから、プロスタッフな訳でもあるし。PBTにおいてはそれなりに結果も残したと思っている。釣りというものに真実は無いと思っているが、田中大介の釣りの中には真実がある。ただし、それが他人のそれと同じとは限らない。というか、同じわけがない。この「真実」というのが、言うなれば「軸」だ。軸が無ければ、釣りはぶれていく。つまり、無駄を多くしてしまう。そこで、私のお節介が始まる。

けれど、「軸を欲しがってない」人にいくら説明しても、伝わらない。それどころか、煙たがられる。PBTでは最悪の状態。逃げ場の無い7時間だからw でも、相手がそれを欲していたら、状況は一変する。「なんて、親切丁寧に説明してくれる人なんだ。」と。この間合いがとても大事だと・・・今更気付いたwww

それに、自分で見つけ無ければ、自分の物になるものではないことも知っている。そうでなければ、釣りのライターさんやカメラマンがトッププロへの最短の道ということになる。だって、一番身近で見ているし、根掘り葉掘り聞いて記事にする訳ですから。あ、でも上手な人は多いですよ。

その人が経験を積み、熟成された人になるのを邪魔しているのがお節介という名の自己満足だ。

ということで、言葉のお節介は自己満足にしかならず、相手との関係を悪化し、相手の成長を妨げる。それゆえ、今年の私は、お節介は言わない。当然、聞きたがっている人にはちゃんと説明します。表彰台とか、レポートとかは今までどおりです。



ただし・・・本音では言いたいのであるw なので、お節介が喉で止まって、窒息しそうになってたら、「これって、どういうことなんですか?」と、ふってもらうとありがたい。決壊したダムのように、適当な言葉が流れ出てくるだろう。それが、あなたの為にならなくてもいい。それが、人助け(大介助け)なのだから。




posted by D.Tanaka at 06:59| ダイスケ的心理学

2010年05月17日

すべての意味付けは自分がしている

どうも。未だに凸を引きずっている大介です。今回の大会では藤高さんが2位、河口さんが6位と上位入賞。一方、私と小方は凸。

「なんだか、この間(私、小方と藤高、河口の間)に線が引かれた感じだな。」って言ったら、「溝ですよ。」by河口 とのこと。く、悔しい・・・。

続きを読む
posted by D.Tanaka at 20:22| Comment(6) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2009年02月15日

タイムマシンに乗って

フィッシングショー大阪に行ったのはここで書いた通り。その時に乗っていった物。それがタイムマシン・・・ではなく、新幹線です。レールスターって奴です。

続きを読む
posted by D.Tanaka at 19:19| Comment(4) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2009年02月10日

自分の座標

今回フィッシングショーに参加して、いろんなことを感じ、考えさせれました。そのことを少し書きたいと思います。釣りネタを期待している人にはどうでもいいことかもしれませんが、最後にフィッシングショーを10倍楽しむ方法を書くんでちゃんと見るようにね。

続きを読む
posted by D.Tanaka at 22:40| Comment(5) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2009年01月19日

我慢と諦め

「最近の若い者は我慢が出来ない。」とよく聞きませんか?

さて、我慢ってなに?我慢とは
“我慢(がまん)とは、仏教の煩悩の一つ。強い自己意識から起こす慢心のこと。

四慢(増上・卑下・我・邪)の1つ、また七慢(慢・過・慢過・我・増上・卑劣・邪)の1つ。仏教では人間を固定的な実体として捉え、自己に執着(しゅうじゃく)することを我執(がしつ)といい、その我執から、自分を高く見て他人を軽視する心をいった。
”出典 wikipedia らしい。

続きを読む
posted by D.Tanaka at 06:06| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学

2008年11月19日

安心と安全

間もなく12月ということと、昨日菅野で初雪(大介観測)ということで、背景を変えました。これなら寒くても楽しそうでしょ。

続きを読む
posted by D.Tanaka at 06:58| Comment(2) | TrackBack(0) | ダイスケ的心理学